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   <title>食器あれこれ</title>
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   <subtitle>身近な小物について探求する</subtitle>
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   <title>時間がたつとなぜ紙の色は変わる？</title>
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   <published>2012-01-12T08:30:54Z</published>
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   <summary>紙の種類によってかなりの差がありますが・・・ 時間がたつにつれて紙の色が黄色や黄...</summary>
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      紙の種類によってかなりの差がありますが・・・


時間がたつにつれて紙の色が黄色や黄褐色に変わるのはなぜでしょう。


これは、日光や熱、空気などの作用によるもので、日光や熱などを遮断して保存すれば、かなり変色を防ぐことができます。


変色が起こるのは、紙の中に含まれているリグニンと結合したリグノ繊維素が、日光によって酸化されて全体が黄褐色に変わってくるのです。


ですから、リグニンなどの不純物の多い新聞用紙の類は変色がいちじるしく、不純物の少ない障子紙などはなかなか色が変わりません。


新聞用紙など値段の安い紙は、木材をドロドロにしたパルプから不純物を除かずに、そのまま作ったものです。


      
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   <title>「やらせ」「やらされ」の需給バランス　4</title>
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   <published>2011-12-03T02:04:49Z</published>
   <updated>2011-12-03T22:57:03Z</updated>
   
   <summary>下は仕事から逃げるか、あるいは自分たちで何とかするしかないからです。 お金を与え...</summary>
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      下は仕事から逃げるか、あるいは自分たちで何とかするしかないからです。


お金を与え続けられると、人はやがてだめになります。


稼ぐ力を失っていくからです。


それも、与える側の懐具合が大したことない場合には、与えられるほうはおちおちしていられないのでいくらか救われるが、大金持ちの気前のいいのに出会ったら、たまったものではありません。


そこから逃げ出さないかぎり、人生は終わりです。


親の過保護も、上長の介入と同一のものです。


人間として「まかせる」のです。


ロボットとしてではありません。


「まかせる」は、まかせたほうが責任を負うのであり、さらに、課題達成できるようにリードするということにおいて、「放任」とは正反対です。


したがって、部下の言うなりということではありません。


せきが激しく熱が出ている子どもを、本人が行くというからと言って幼稚園に連れてくる母親が増えているそうですが、こんな類のものではありません。



      
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   <title>「やらせ」「やらされ」の需給バランス　3</title>
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   <published>2011-11-12T02:04:10Z</published>
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      組革研ひとつとっても、一度としてすべて同じということはありません。


全員で仕事集団活動そのものをやるので、たえず状況対応に迫られ、その真剣勝負の動きの中で、「人びとと仕事とのかかわり合い」とそのリードのありかたを探索し、研究.開発していかねばならないからです。


企業に出かけていった場合も同様です。


そこで私は、時どきそこから逃げ出して、自分のスタッフのルーティンな仕事を横取りして、気分転換することにしています。


もう一つの理由は、優秀かつ「何とかせねば」の強い上長の下での場合です。


痛しかゆしとはこのことを言うのかと思いたくなります。


上から優れた答がばんばん出され、下がほぼそのように動くことができた場合には、仕事がうまくいってしまうからです。


「あの人の言う通りやっていれば間違いない」ということになります。


優秀でない上長の下ではこの心配はありません。


その通り動いたら危ないということを、下が承知しているからです。


「何とかせねば」の少ない上長の下でも、その心配はありません。


      
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   <title>「やらせ」「やらされ」の需給バランス　2</title>
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   <published>2011-10-15T01:03:46Z</published>
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      多くの人びとは、一方で、日々を創造的にありたいと思いつつ、他方では、その努力が面倒くさく、大変なので、ついつい安易な方向に流れていってしまいます。


私の場合はあきらかにそうです。


誰にとっても、決められた通りの「やらされ」のほうが、つまらないけれどしかし、楽なのです。


学卒新入社員が、その入試面接では、創造的に、自主的にやっていきたいと言う。


別に嘘をついているわけではありません。


では入社後どうでしょうか。


その言葉とは裏腹に、指示がなければ何ひとつやろうとはしない。


自分から聞いて動こうとする人間はまれです。


「指示待ち」という言葉はこのへんから生まれたのでしょう。


そしてやがて、「自分がうまくやれないのは指示のしかたが悪い」ということになってしまいます。


私の仕事も創造性を必要としています。


      
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   <title>「やらせ」「やらされ」の需給バランス</title>
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   <published>2011-09-10T01:03:20Z</published>
   <updated>2011-09-10T21:55:14Z</updated>
   
   <summary>日々の仕事への介入の連続が即人間性への介入という、恐ろしい結果を人びとにもたらし...</summary>
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      日々の仕事への介入の連続が即人間性への介入という、恐ろしい結果を人びとにもたらしていくのでした。


そんなに悪ならば、少なくとも個々のリーダーのレベルでは手加減がなされていくかというと、そうはいかないようです。


その理由は、上長が目先の業績に追われているということに加え、もっと本質的なところに、2つあります。


一つは、介入の需給関係が存在していることです。


上は下に、すべて自分の思うとおりに動いてほしいと願う。


これは自然だし、私も同様です。


それでは、下はさぞかしいやかというと、どうも、そのへんが怪しいのです。


案外、下もそれを求めているのではないかということです。


そのほうが楽だからです。


「やらされ」の反対は、自主であり、さらに創造的な状態です。


それは、自らに因ることであって、素晴らしいけれど、楽ではありません。


      
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   <title>とある高僧</title>
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   <published>2011-08-18T03:54:52Z</published>
   <updated>2011-09-08T21:58:04Z</updated>
   
   <summary>祐天上人は、浄土宗の大本山芝増上寺の第三十六代住職で、将軍綱吉とその母桂昌院の帰...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://texas-auto-insurance.info/">
      <![CDATA[祐天上人は、浄土宗の大本山芝増上寺の第三十六代住職で、将軍綱吉とその母桂昌院の帰依を受けた高僧です。


念仏をこととする浄土宗の僧侶でありながら、密教の呪法にも精通していて数々の霊験潭を残しています。


このことから祐天には呪術師としての側面も強くうかがわれるのです


彼が、呪術的なものを排除する傾向が強い浄土宗の僧侶でありながら、加持祈疇などに堪能だった理由を示す伝説的なエピソードがあるのでご紹介しておきたいと思います。


祐天上人は幼くして出家したが、きわめてもの覚えが悪かった。


お経を教わってもすぐに忘れるという始末で、一時は絶望のあまり、自殺しようと思ったことさえあるといいます。


そんなとき祐天を諭し、励ます人がいて、その人の薦めによって真言宗の成田山新勝寺で修行することになりました。


話は変わりますが、占いに凝っている友人が「<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話の占いサービス</a>が良いと言うので、利用してみようと思いました♪

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   <title>米国の競争支えた需要の伸び　2</title>
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   <published>2011-08-11T04:52:18Z</published>
   <updated>2011-09-08T21:59:04Z</updated>
   
   <summary>最初にスプリントが、全米どこにかけても平日昼間は1分間25セント、夜間、週末は同...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://texas-auto-insurance.info/">
      <![CDATA[最初にスプリントが、全米どこにかけても平日昼間は1分間25セント、夜間、週末は同10セントというサービスを行いました。


すぐにAT&T、MCIも追随しました。


1ドル100円で換算すると、当時は日本のおよそ半額という安さでした。


消費者が戸惑うほどの多様なサービスが考え出された背景はもちろん競争でしたが・・・


こうした競争が実現できた真の背景は、価格競争を支えた需要の伸びだったことを忘れてはなりません。


まだ<a href="http://fax.toones.jp/" target="_blank">インターネットＦＡＸ</a>がなかった1984年の長距離電話の通話分数は1497億分。


95年のそれは4324億分です。


実に3倍に伸びているのです。


料金が半分になり、需要が3倍になれば、収入は当然増えます。


同じ期間に長距離市場の収入は388億ドルから674億ドルに1・7倍に増加しています。


料金を下げれば需要が増え、さらに値下げが可能になるという好循環を米国は実現したのです。


これがAT&T分割、競争導入の成果だというのはたやすいですが、ほぼ同じ時期に長距離市場を自由化した日本はどうだったか・・・


比較してみると明らかになります。

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   <title>米国の競争支えた需要の伸び</title>
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   <published>2011-07-06T04:51:02Z</published>
   <updated>2011-07-06T21:56:08Z</updated>
   
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://texas-auto-insurance.info/">
      <![CDATA[1984年、AT&Tが分割されて、長距離市場に競争が導入されました。


これ以来、米国の長距離市場にはどんな変化が起きたのでしょうか。


・・・当時、東海岸から西海岸までの長距離料金は5分間で2ドル53セントでした。


それが5年後の89年には1ドル25セントまで約半分に値下がりしました。


その後、1ドル20セントまで下がった後、94年には値上げに転じています。


分割後5年間で価格競争は底を打ったといえます。


その間、各社はさまざまな料金割引サービスや<a href="http://fax.toones.jp/" target="_blank">インターネットＦＡＸ</a>サービスを競って導入しています。


一定額以上の利用者には、そのボリュームに応じて割り引く大口割引などが、次々と導入されていきました。


MCIの「フレンズ・アンド・ファミリー」は最も有名ですが、これはよく電話する相手には最大で20%割り引くサービスでした。


割引サービス競争の結果、割引制度があまりにも複雑になりすぎ、利用者に何がほんとに自分に有利になるのか、わからないという事態を招くことになりました。


・・・こうした反省から生まれたのが全国均一料金です。

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   <title>おしゃれかどうかは時計でわかる</title>
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   <published>2011-06-04T02:16:57Z</published>
   <updated>2011-06-07T21:56:03Z</updated>
   
   <summary>スイスのブランド、バセロン・コンスタンチン。 1775年、ジャン・マルク・バセロ...</summary>
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      <![CDATA[スイスのブランド、バセロン・コンスタンチン。


1775年、ジャン・マルク・バセロンがジュネーブに開いた時計工房が始まりです。


彼や2代目は時計マスター・キャビノチエとしても優れ、彼らのつくった時計はヨーロッパ中で高い評判を得ました。


3代目のジャック・バルセレミィ・バセロンが友人のフランソワ・コンスタンチンを共同経営者に迎え、2人は時計製造の機械化を図り、時計部品を生産するという、当時としては画期的なシステムを完成。


今日の礎を築きました。


初代のキャビノチエの精神が連綿と受け継がれ、限られた一流品を少量生産するという姿勢は創業以来一貫して変わりません。


<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン ジャズマスター</a>と同じですね。


"人類の英知と技が創りうる最も優れた時計をつくるため"機械化された現在でも仕上げは頑なに手作業されています。


時計に刻まれたジュネーブの州章は時計業界の名誉であり、審査の厳しい「ジュネーブ・クオリティ」をクリアした証明です。


これを無条件で刻印できるのは現在、世界で2社だけ。


また、超複雑時計(グランド・コンプリケーション)をつくれる数少ないメーカーの一つでもあるのです。


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   <title>ピアジェの時計　2</title>
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   <published>2011-05-04T02:15:25Z</published>
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   <summary>多くの芸術家がピアジェのために協力しています。 最近はスイスの生んだ大芸術家ハン...</summary>
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   <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://texas-auto-insurance.info/">
      <![CDATA[多くの芸術家がピアジェのために協力しています。


最近はスイスの生んだ大芸術家ハンス・エルニが、ピアジェ社創立110周年記念コインや時計を「時と平和」のテーマでデザインし、好評ですね。


そしてテックフィリップ。


1839年、ポーランドのパテック伯爵とフランスの時計職人フィリップによって、スイスのジュネーブに設立。


1841年に世界初の竜頭巻き機構を、1868年には世界初の腕時計を完成させた輝かしい歴史をもっています。


現在でも1日の生産数は50個、一つの時計に9ヵ月もかけるという手づくりの姿勢に変わりはありません。


審査の厳しいジュネーブ市の規格をパスした証明「ジュネーブ・マーク」を無条件で刻印できる特権を持っています。


英国ヴィクトリア女王、トルストイ、ワーグナーなどに愛用された時計としても有名ですね。


男性には<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン ベンチュラ</a>と同じくらい人気がある時計です。

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   <title>ピアジェの時計</title>
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   <published>2011-04-04T02:13:26Z</published>
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      <![CDATA[ピアジェは1874年、ジョルジュ・ピアジェによってスイスのジュラ山脈の麓に設立された時計メーカーです。


以来、百有余年に渡って培われた伝統技術を受け継ぎ、常に新しい技術とアイデアの挑戦を続けてきました。


ベテラン職人が1個あたり150時間かけて仕上げる時計は、"時を刻む芸術品"として知られています。


年間2万個の少量生産です。


1946年に厚さ1・35ミリという、世界で最も薄いムーブメントの手巻き時計を発表。


これは宝飾時計というピアジェ独自のジャンルを開拓する契機ともなりました。


さらに2・3ミリの極薄ムーブメントの自動巻き時計、金貨を埋め込んだ世界最初のコインウォッチ、文字盤に宝石をあしらった宝飾時計など、新しいスタイルの時計を次々に発表し、<a href="http://www.smart-time.info/?mode=cate&cbid=833167&csid=0" target="_blank">ハミルトン カーキ</a>とともに常に高級時計界をリードしてきました。


こうした名声を支えているのが、一人一人のなかで培われてきた時計職人としての誇りにほかならないのです。

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   <title>おばけの話　4</title>
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   <summary>「えっ、はや三十三年忌か。」 モーエはびっくりしたようすで、今度は若者の鼻ん穴に...</summary>
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      「えっ、はや三十三年忌か。」


モーエはびっくりしたようすで、今度は若者の鼻ん穴に指を突っこんだり、耳をほじくったりしてみましたが、おいかわらず人間とは気づかないようすです。


「よし、今夜こそ、いけなことでも尋ねつけて食い殺してやる」


と叫んで、モーエはまた世間めざしてさっととびだして行きました。


鶏が鳴いたとき、また墓場に舞いもどってきました。


「三十三年忌になってもまだあの二才は見つからん。いよいよ、もうあの二才も先の世に行ってしもうたか。


もう今夜かぎりじゃった。もう娑婆で探すのはやめた。先の世で見つけてやろう。」


モーエはこういうと、墓の中にするすると消えてしまいました。


夜が明けると若者はただちにまた神さまのところに行きました。


すると、神さまは、


「おまえのいのちはもう大丈夫じゃ。娘の魂は先の世に成仏したから安心じゃ。


もうこの娑婆には出てこんよ。


わしは、おまえが幼ないときから、わしのところにお伊勢まいりしたいと念願していたことをよく知っていたぞ。


それでは早く家に帰って安心してよか世をくらしなさい」


とおっしゃいました。


若者は神さまに心からお礼を申しあげると、はればれとした気持で元気よく国もとのほうへ帰って行きましたそうな。


おしまい。

      
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   <title>おばけの話　3</title>
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      「えっ、ここには塔婆がある。大きな塔婆じゃな。」


こういって、モーエはまた若者の顔から腕から、からだじゅうを、なでまわすのでした。


しばらくしてモーエは世間へ出て行きました。


夜明けの鶏が鳴いたとき、モーエは墓場にもどってきて、


「あの二才はどこにも尋ねださんじゃった。あしたの晩くさ、食い殺さんと合点せん」


といって、若者のからだをもう一度なでまわしました。


それから墓の中にはいっていきました。


夜が明けると若者はさっそく神さまのところに行き、墓場での一部始終を申しあげました。


すると神さまは、


「おまえは今夜も気ばらんといのちはなか。今夜も墓場に行たて、はだかになって立っておるのじゃ」


といわれました。そして若者の背中にまた墨くろぐろと、今度は、


「七年忌」


と書いてくれました。


若者はその晩も墓場に行って、はだかになって立っていました。


真夜中にふたたびモーエが恐ろしい姿で現われました。


「さても残念じゃ。今夜こそ食い殺さんといかん。イヒヒヒヒ」


といって、また若者のからだにさわって首から腹からなでまわしていましたが、


「あわ、もう七年忌になったか」


とつぶやいて、急いで世間へ出て行きました。


夜明けの鶏の声がしたとき、またもどってきました。


「あっちこっち探してみたが、今夜も尋ねださんじゃった。まこて残念じゃ」


というと、おいおい泣きながら墓の中へ消えて行きました。


夜が明けたので、若者はまた神さまのところへ行きました。神さまは、


「おまえはごくろうなことじゃが、もう一晩気ばらんといのちはなかど」


といわれました。


そして今度は若者のからだに特別大きな字で死んだ娘の名前と


「三十三年忌」


の文字を書いてくれました。


その晩も若者ははだかになって、墓場に立っていました。


真夜中になってモーエがまた現われました。


今夜はゆうべよりも恐ろしい姿です。


髪をふり乱し、歯をむきだし、怒りにぷるえながら、


「二才はどこにおいか。今夜こそ食い殺してくるっ。イヒヒヒヒ」


というと、若者のからだをなではじめました。



      
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   <title>おばけの話　2</title>
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   <summary>「こんどこーさ、あの二才を食い殺さんうちはきかん。イヒヒヒ」 といって、気味悪く...</summary>
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      「こんどこーさ、あの二才を食い殺さんうちはきかん。イヒヒヒ」


といって、気味悪く笑いました。


さて、若者はそんなことは少しも知らず、幾日か旅をつづけ、とうとうお伊勢さまに着いて参詣しました。


ところが、神さまが、


「おまえのいのちは今夜どいのいのちじゃ」


とおっしゃいました。若者はどういうわけかわからず、びっくりするだけです。


「おまえはここに来る途中で、娘と会わんじゃったか。」


「はい、会いました。娘はお伊勢さまにつれて行ってくれといいましたが。」


「その娘のことじゃが、おまえのことを一心に思うて井戸にとびこんで死んでしまったのじゃ。


娘の思いがこりかたまってモーエとなって出てきて、おまえのいのちをねらいだした。


おまえは日本国中どこにあっても、そのモーエから食い殺されて死ぬ運命じゃ。


しかし、わしのいうことをよく聞けば、助かることもできるが。どうじゃ、わしのいうことを聞くか。」


「はい。そんなことなら、神さまのおっしゃるとおりよく聞きますから、どうか助けて下さい。」


「よし、それではネ、今晩、墓場に行たて、じっと、かがんでおりなさい。」


神さまはこういわれました。それから若者の背中に、墨くろぐうと、


「南無妙法蓮華経」


と書いてくれました。


その晩、若者は神さまがいわれた墓に行って、はだかになり、恐ろしさにがたがたふるえながらじっと立っていました。


ところが、夜中になって、恐ろしい姿のモーエが墓から出てきました。


若者は背すじがこおる思いでいますと、


「あの二才はどこさめ行たか。どこへ逃げてもおれがかみ殺してくるっから。イヒヒヒヒ」


とつぶやきながら、若者のからだをなでまわすのでした。



      
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   <title>おばけの話</title>
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   <published>2011-01-04T08:07:53Z</published>
   <updated>2011-05-25T04:54:30Z</updated>
   
   <summary>屋久島ツアーで人気のある屋久島に古くから伝わる民話、「娘のモーエと若者」を紹介し...</summary>
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      屋久島ツアーで人気のある屋久島に古くから伝わる民話、「娘のモーエと若者」を紹介します。


おもしろい話なのです。


むかし、むかし。


あるところに、小さいときからお伊勢まいりに行きたいといつも思っている若者がおりました。


ある年、とうとう願いがかなって、若者はお伊勢まいりに出かけました。


若者はなかなか男ぶりがよい、「よか二才さん」でした。


ある村にさしかかったところが、小川で洗濯をしている娘がおりました。娘は、若者の姿を見て、


「二才さん、二才さん、おまえさんはどこまで行きやっとな」


と聞くことでした。


「おれは、こまんかときからお伊勢きまに行こうときめちょったが、今やっと願いがかのうて行くとこいじゃ。」


「そんなぁ。どうかあたいも一緒に連れてってくいやい。」


「いや。おれは一人で行くように願を立てちょったから、気の毒じゃんばって、それはでけん。」


「そうですか。でもどうかつれて行ってくいやい。あたしも子どものときからお伊勢さまに一度は行きたいと思っていました。


女子一人は行くことはできませんから、どうかいっしょにつれて行ってくいやい。」


「いや。せっかくあんばって、それでも、でけんよ。」


若者はきっぱりことわって、一人でどんどん行きました。


若者のうしろ姿を見つめながら、娘はなげきました。


「ほんのこて残念な。あれだけたのんでもつれて行たてくえんじゃった。」


残念さのあまり、娘はとうとう近くの井戸にとびこんで死にました。


ところが娘の残念さがこりかたまって、モーエ（亡霊）となって地上に現われました。



      
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