「やらせ」「やらされ」の需給バランス
日々の仕事への介入の連続が即人間性への介入という、恐ろしい結果を人びとにもたらしていくのでした。
そんなに悪ならば、少なくとも個々のリーダーのレベルでは手加減がなされていくかというと、そうはいかないようです。
その理由は、上長が目先の業績に追われているということに加え、もっと本質的なところに、2つあります。
一つは、介入の需給関係が存在していることです。
上は下に、すべて自分の思うとおりに動いてほしいと願う。
これは自然だし、私も同様です。
それでは、下はさぞかしいやかというと、どうも、そのへんが怪しいのです。
案外、下もそれを求めているのではないかということです。
そのほうが楽だからです。
「やらされ」の反対は、自主であり、さらに創造的な状態です。
それは、自らに因ることであって、素晴らしいけれど、楽ではありません。